chu-ken.info/text/2008

エピソード記憶と意味記憶

人間の記憶力には色んな種類がある。というのは、現在の脳科学の立場だ。そこでの記憶の定義は最初に二つに分割される。短期記憶と長期記憶だ。

短期記憶とは、コンピュータのメモリに相当し、少し時間が経過するだけで意識的な努力が無ければ揮発して蒸散してしまう。マジカルナンバー7なんて言われるように精々チャンク単位で7プラマイ2くらいしか記憶出来ない。

長期記憶は、文字通り、短期記憶から一定の意識的手続きに従って蓄積され、体系化された記憶だ。この長期記憶は更に陳述記憶と非陳述記憶に二分される。陳述記憶は分析哲学で扱う論理命題単位でもある。一定の言語化された命題であり、基本的にその全てに一定の判断価値がパラメーターとして付与されている。最も単純なパラメーター形式はその命題は真か偽かとなる。この陳術記憶はエピソード記憶、意味記憶の二種類に分かれる。このエピソード記憶と意味記憶は互いに相補的関係にある。言語的命題単位に分割された意味記憶の真偽がエピソード記憶に蓄積されている個々の経験という過去を構成するように出来ている。

これは大森荘蔵の「時は流れず」で描かれる、過去実在性の無根拠さと整合的である。「時は流れず」で展開される哲学的なロジックはそんなに高度なものではない。着想と道具の使い方が異常に上手いだけだ。使われているのはカントの「物自体」という相対化手法だ。ヘーゲルが絶対知概念を編み出す事によって神の頸木から解放された知性は、あらゆる事象に相対性を導入する。相対性が導入されて、変数として扱われる事になった現実解釈を、カントは物自体と呼んだ。分かりやすく言えば、私たちは現実である物自体をそのまま十全に認識する事は出来ないという極々今日ではありふれた認識の事である。目の前に実在として想定されている何かしらの存在を、私たちは知覚器官を介して間接的にしか把握できないし、把握できたとしてもその存在から引き出す事が出来る記述は不完全なものにしかならない。この物自体の概念を時間の実在性にまで拡張すると、私たちは、現実に時間が仮に流れていたのだとしても、それを自分の制約された限界の中で言語的に構成する事で認識する事しか出来ない、という論理構成だ。つまり素朴実在論への批判を、素朴過去実在論にまで拡大しただけだ。

意味記憶とエピソード記憶が相補的であるというのが、何故この過去実在性の無根拠さと整合的なのか。それは私たちが時が流れているという慣れきった現実想定を、記憶の仕組みは裏切っているという事だ。意味記憶で扱われる真偽判断の変化は、そのまま、エピソード記憶を変化させる。私たちが大人になるにしたがって、子供の頃の自分の体験が全く違った意味合いで感じられる、という体験がある。これはまさに意味記憶の変化によって、エピソード記憶が再構成されているという事に他ならない。通常はそのエピソード記憶に新しい側面が発見される程度で、そのエピソードの経験の意味が180度反転するという事はなかなか起こらない。が、時に意味記憶の変化によって、エピソード記憶が大きく変貌する事がある。典型例は歴史認識だ。

従軍慰安婦問題や、南京虐殺問題、など日本の過去に行われたとされる歴史的事実をどう認識するのかという問題において、この意味記憶とエピソード記憶の相補性は重大な役割を果たす。 ここで問題になるのは、過去に起こった出来事を私たちはタイムマシンで過去に行って調査するなんて事が不可能であるという事だ。どこまで行っても、それは言語で制作された、個々の人間の「意味記憶とエピソード記憶の整合性」と、言語で制作された「資料記録」との整合性で判断するしかない。結局、こうして「過去」は事実判断ではなく、規範判断の対象となる。自然科学的に白黒はっきり検証するという事は不可能なものとなってしまう。仮に自然法則を全て解明できたとしても、それは過去の基礎部分だけであり、過去そのものの総体は言語を材料にして制作される社会的構成物なのである。(なんか悪い見方すると歴史修正主義の入門になっちゃったなあ。俺は歴史修正主義に批判的なのだけど、それはまた別の機会に書いてみよう)

時間が流れるという当たり前の感覚っていうのは、何かの機能を実現するために人間に組み込まれた仕組みなのであって、絶対視してはいけないって事です。当たり前だが、大森は時間が流れていないから、私たちは不老不死だと思いこんだり、自堕落に生きてもいいとかそんな事は言ってないよ。これはよく哲学者をおちょくる時に使われる話だが、日常生活を生きるっていう意味では役にたたない観念論を構築する事で、認識論の基礎研究をするのが哲学なのだから、哲学的議論を何の中間項的媒介を経ずにいきなり日常生活に活用しようなんて考えるのはナンセンスです。まあ、俺も高校生の頃は、「哲学者って言葉遊びしておいて、目の前の現実が偽物とか言ってても車に轢かれそうになったら避けるんだろ? 」とか言いがかり付けていたんで、偉そうには出来ないが。

さらに長期記憶のもう一方、非陳述記憶も二種類に大別される。手続き記憶とプライミング記憶だ。両者とも言語的に制作されていない、非言語的命題、完全に感性的な記憶だ。

手続き記憶とは、身体で覚える記憶。典型例は自転車の乗り方だ。繰り返し練習によって、脳の本能や反射に近い部分に書き込まれる記憶であり、天才が天才と呼ばれるのは大部分がこの手続き記憶の有効活用に基づく。 殆ど無意識に近い部分で脳が処理してくれるために、意識部分にも負担がかからず、驚異的な処理能力を発揮する。数学が出来る人も、理解をしてから何度も繰り返し練習をすることで無意識に近い部分で演算をしてしまう。これで苦手な人から見たら驚異的な能力を持っているように見える。

プライミング記憶とは、記憶が様々な再帰的言及構造になっている事に由来する、一種の連想の事だ。医者と言えば、注射器、看護婦など相関性の高い概念が浮かんでくる。この相関性の高い概念を意識表面に浮かび上がらせる働きがプライミングである。人間の記憶は神経細胞の三次元ネットワークの励起パターンで記述され、概念的に近いものはその三次元ネットワークを構成する神経細胞がたくさん重複する。1や2という数字概念は、カテゴリー的にも近似だが、それを構成する神経細胞も大部分重複する。そのため、一方のネットワークが励起すると、類似性の高い概念も擬似的に励起した状態になるため、意識表層に浮かんでくる。

実は創造的な人間ってこの非陳述記憶をかなり有効活用している人なのかも。創造性の本質は、パクリ、つまりはアイデアの組み合わせパターンな訳なのだが、手続き記憶に定着している思考パターンの鋳型にプライミングで連想された変数を流し込む事で創造性が生まれるのではないか。

何度も書いてきたテーマで読む人がうんざりしていそうだが、俺にとっては幾つか重大な発見というかつながりが見いだせたので復習代わりに書いてみる。

経済人への反例としてサイモンが着想した経営人という概念がある。情報不完全性、合理不完全性、時間不完全性、ようするに現実に生きる人間ってのは、そもそも情報は穴だらけの中で判断するし、その時あり得る可能性全てを検討する事なんて出来ないし、検討するにもしても時間も限られていて優先順位を付けて処理するしかないじゃん、合理的経済人って理想気体と同じ議論単純化のための道具じゃんバーカ、という概念だ。この経営人はヒューリスティックなアルゴリズムで人間は日常生活を生きる訳なのだが、このパレート最適にはほど遠い、ナッシュ均衡的な解ってものが持っている汎用性について考えている。中庸の話の続きだ。

一言でいっちゃうとそもそも間違って勘違いして、非合理的な判断をするから、無限のフレーム問題が存在する現実を生きる事ができるんじゃねえ?って事。

これはもう完全に近代的自我概念を吹き飛ばす破壊力を持っているアイデアなのだけど、要するに、人間の長期記憶の陳述記憶に該当する部分ってのは言語的に構成されている。言語っていうものは、一つには意味を圧縮して無限のフレームを有限化してくれる。また、言語という不完全な意味伝達手段であるからこそ複数の人間と意思伝達して社会を構成する事が可能になるっていう二点を特徴に持っている。この言語的に制作された世界認識構造の根本的な欠陥、ようするに思いこみといい加減な判断で行動しちゃうっていう事自体が、現実を人間に生きさせ、汎用性を持たせているんじゃないかと。

人工知能研究で、一定のアルゴリズムに従って、ロボットに階段を上るとかさせようとすると、階段とは何か?っていう認識の部分でつまづく。階段を映像情報で定義すると、定義した映像情報と厳密に合致しない階段は階段じゃない事になってしまう。そこで今度は少し抽象化した階段モデルというものを定義して与えると、なんとか動く。この抽象化モデルを認識全般に与える事が出来れば人工知能はつくれるかも知れないのだが、 現実にはどうしても抽象化できない部分が存在していて、その抽象化できない部分で定義の無限退行、ようするに無限のフレーム問題が発生してしまい、汎用ロボットの実用化が困難、汎用人工知能の開発も挫折っていう事になっている。抽象モデルを総当たりで全部入れていく戦略も挫折した。最近の話はフォローしてないが、一応大学の入門講義レベルは押さえているはず。

で、人間の言語でつくられた記憶の枠組みにしたがって、「正しく間違う」事を出来るようにしているのが、このヒューリスティックであり、言語という不完全な代物であり、記憶の構造なのではないか、なんて事を今考えている。うーん、実証性に乏しいね。

Valid XHTML 1.0 Strict Valid CSS!

Copyright (C) 2003-2008 chu-ken all rights reserved